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オーストラリアの旅〜シドニーユダヤ博物館〜

Kings Cross駅近くにあるSydney Jewish Meusium

 

ナチスの迫害にあいながらも、生き延びてシドニーまでたどり着いた人達で作られた博物館。館内にはサバイバーだけでなく、その家族などの名前が展示されていました。

 

まずは、館内に入って最初にあったのはナチス支配下から生きて逃れたスーザンのお話。数分で終わる簡単な当時の事をまとめた映像を見た後に博物館の職員と対話方式でサバイバーの方のお話。

 

76歳になるスーザンさんはこどもの頃にナチスの迫害に合いながらも、生きてオーストラリアまで逃げ切ることが出来ました。

 

彼女はいわゆるごくごく普通の平均的な家庭と本人は言われていましたが、残っている写真を見る限り上流家庭。ひょっとしたら、お金を作るのに長けていたユダヤ人の間では「平均」だったのかもしれませんが.....。

 

スーザンさんはお父さん、お母さんに加えて母親が違うお兄さんがいました。4人家族だったスーザンは、お父さんが強制収容されて亡くなる頃から不幸が始まりました。

 

フランスやハンガリーに逃げていた叔父さん達やカソリックだった母親の友達の手助けで、オーストリアから逃げる事が出来たスーザンですが、直前になって逃げられるのは二人だけという現実を突き付けられました。お母さんは子供のうち、どちらか一人だけを選ばなければなりませんでした。

 

苦渋の選択だったと思います。当時4,5歳だったスーザンを選んだお母さん。二人はおじさんに雇われた男達と一緒に国外へ。馬小屋に逃げ込み、そこで一晩を明かす事になりました。誰にも見つからないように、馬小屋へ隠れ、再び男達が迎えに来てから安全な場所に匿われました。

 

ハンガリーのブタペストや田舎町を行き来した後に、世界第二次世界大戦前にオーストラリアまで逃れる事が出来たそうです。

 

母親と無事に遠くのオーストラリアまで逃れた後も、スーザンは残して来た兄を探し続けました。結果、兄はロシアで強制収容され四日後には殺されてしまっていたそうです。

 

スーザンの手元にはお兄さんの写真も残っていました。お母さんが家族の写真と共にずっと大切に持って逃げていたみたいです。

 

当事者の話は、想像を絶するものがありました。これは当事者だから出来る事だと思います。年齢的に当時大人で逃げ切ったユダヤ人はかなり少なくなっていると思います。こどもだったから、当時の記憶は薄いもののきちんと伝えていかなければならないと言う、スーザンの意思は伝わって来ました。

 

その後、少人数に分かれて博物館内を案内してもらいました。当時の洋服や小物、国外へ逃げる為のビザ、写真等が飾られていました。思ったより色々物が残っていて、ユダヤ人はやはりお金を作ると言う智慧だけでなく、「生きる智慧」を備えた人種だったのかなと感じました。

 

勿論、杉原千畝の名前もガイドさんから出て来ました。Sempo Sugihara 事前に少し杉原千畝に関しての本を読んでいたので、Sempoが千畝を指している事はわかりました。Chiuneと言う言葉が言いにくいのでSempoと言う名前を使っていた杉原千畝

 

残念ながらシドニーの博物館には杉原千畝の署名が入ったビザなどの書面はありませんでした。ガイドさんに尋ねたら、他のガイドさん達に向かって「すっごく良い質問をもらったんだけど、ここにはSempo Sugiharaのビザはないよね?あると良いよね」と言っていたので、次に行ったときにはひょっとしたら日本人観光客向けに杉原千畝が署名したビザの写真位は増えているかもしれません。

 

館内を案内してくれたボランティアガイドさん達も、その殆どが迫害されてオーストラリアに辿り着いたユダヤ人の子孫達。

 

当日は私達以外にもシドニーの中高校生達と思われる別のグループも来ていました。

 

自分達のルーツを知る為にもユダヤ博物館はオススメです。